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宮原村(みやはら-むら)は、日本の近代から現代前期にあたる明治中期から昭和中期までの間、埼玉県北足立郡に存在した村である。 その前身の中心的一集落であった加茂宮村は、中山道六十九次を描いた名所絵(浮世絵風景画)組物『木曽街道六十九次』のうちの1図「上尾宿 加茂之社」に描かれている(詳しくは「#関連項目」、および、別項「上尾宿」を参照のこと)。 == 歴史 == * 771年(宝亀2年10月27日)以前 - 東山道武蔵国足立郡に属す。 * 江戸時代 - 東海道武蔵国足立郡の大谷領・吉野領などに属す。 * 1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。 * 1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。 * 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。 * 1874年(明治7年) - 鍛冶村が加茂宮村に編入される。 * 1879年(明治12年) - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。 * 1889年(明治22年) - 町村制施行に伴い、加茂宮村、吉野原村、奈良瀬戸村、大谷別所村が合併〔明治の大合併。〕し、加茂宮村の宮と吉野原村の原から名前が採られ宮原村となる。 * 1908年(明治41年) - 国鉄高崎線に加茂宮信号所が開設される。 * 1922年(大正11年) - 加茂宮信号所が加茂宮信号場となる。 * 1940年(昭和15年)11月3日 - 北足立郡大宮町、大砂土村、三橋村、日進村と合併(新設合併)、市制施行により大宮市となる。〔埼玉県の廃止市町村一覧#1940年~1949年〕 * 1947年(昭和22年) - 加茂宮信号場が廃止される。 * 1948年(昭和23年) - 高崎線加茂宮信号場の跡地に宮原駅が開設される。 * 1955年(昭和30年) - 大宮市が周辺6村を編入する。 * 1983年(昭和58年) - 埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)が開通し、加茂宮駅、東宮原駅、吉野原駅が設置される。 * 2001年(平成13年) - 大宮市が浦和市・与野市と合併し、さいたま市となる。 * 2003年(平成15年) - さいたま市が政令指定都市となり旧村域周辺は北区となり現在に至る。 現行町名では概ね宮原町、別所町、奈良町、吉野町に相当する。国道16号、国道17号が通り、吉野町には吉野原工業団地がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮原村 (埼玉県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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